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バース・グラッド

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4

 2人は折り重なるようにして水の底に沈んでいった。声が聞こえる、と雫が言った。
「私の名前を呼んでいる。死なないでって」
「じゃあ雫はやっぱり死んじゃダメなんだ」
 水の底で、メイシュはそう言って雫の手を引いて歩き始めた。水の底にも1本の白い道が伸びていて、やはりどこまでも続いていた。雫は怖がって足を止めた。
「本当に歩いていっていいの? この道でいいの?」
「分からない」
 メイシュは正直に答えた。
「でも水の上には戻れない。戻れたとしても、もうどっちに行っていいのかも分からない。だったら今ある道を行くしかない」
「メイシュは怖くないの」
「怖い。でもメイシュの気持ちは歩き出した時から変わらない。この道を歩きたい気持ちがお腹の底から湧いてくる。雫は違うのか」
 雫は少し考えてから頷いた。
「私も歩きたい。メイシュと一緒に、歩きたい」
「じゃあ行こう。メイシュも雫と歩きたい」
 2人は水底の道を歩き始めた。波の音は聞こえなくなったが、代わりに水面からゆらゆらと差し込む光が2人に色々なものを見せてくれた。夜陰に明かりを灯す家々や、季節毎に服装を替える人々や、とても速い速度で人を乗せて動く乗り物。そんな全てを2人は2人で見ていった。
「メイシュ、私はあの空を飛ぶ乗り物に乗ってみたい」
「あれは少し怖いな。空を飛ぶなんて、落ちたらとても大変だ」
「そうだね。でも空の上から見る景色はきっと綺麗だと思うんだ」
 雫は目をキラキラさせてそう語った。メイシュはうんと頷いて答える。
「この道の先に行ったら乗れる。メイシュも一緒に乗る」
「うん、そうしよう」
「でも怖いから手を繋いでいてほしい」
「分かったよ、乗っている間は手を繋いでいてあげる」
 今みたいにね。そう言って雫はメイシュと繋いだ手を軽く掲げた。そして2人はどちらからともなく声を立てて笑った。

 やがて白い一本道の先に何かが見えてきた。それは水底の崖にぽっかりと口を開けた洞窟で、道はその中へと続いていた。2人はどきどきしながらも狭い入口を潜って洞窟の中に入った。
 洞窟の中には光も音もなかった。少しずつ息が苦しくなってくる中、2人はぽつりぽつりと言葉を交わした。
「メイシュ、出口はもうすぐなのかな」
「分からない。雫、足は大丈夫か」
「うん大丈夫。メイシュは? 疲れていない?」
「大丈夫」
 そのうち洞窟は狭くなって、2人が並んで歩くのは難しくなった。2人は縦に並んで、それでも互いにしっかりと片手を握り合って進んだ。
「不思議だな」
 不意にメイシュが言った。雫は「何が?」と問い返す。メイシュは答える。
「歩き始めたとき、メイシュはずっと1人で歩いていくんだと思った。それがこうやって雫と一緒に歩いてこられるなんて、思ってもみなかった」
 ありがとう、とメイシュは言った。雫は首を振りながら「こちらこそ」と答えた。
「メイシュがいなかったら、私は途中で歩くことをやめていたかもしれない。何度も怖くなったもの。強い風に飛ばされて、水の底でじっと動かなくなっていたかもしれない」
 だからこちらこそありがとう。そう言った雫に、前を行くメイシュは見えないと知りながらとても嬉しそうな笑顔を返した。
 洞窟はますます狭くなって、這うようにしなければ進めなくなった。2人は身体をほとんど重ねるようにしながら、手だけはしっかりと握り合って進んでいった。やがて洞窟が激しく揺れ始めた。
「崩れる!?」
 雫が叫んで、メイシュが雫を引っ張る。
「早く、ここから出るんだ!」
 揺れる洞窟の奥に小さく白い光が見えていた。メイシュは雫の手を引いてそこまで這っていく。雫は半分泣きそうな顔をしながらもメイシュの背中を見ながらついていった。揺れはますます激しくなる。それでも2人はやっとのことで光の見える出口に辿り着いた。外は真っ白で何も見えない。そして出口には何か透明な壁のようなものがあって、押しても叩いてもびくともしなかった。洞窟の壁が崩れ始める。
「開かないのか!」
 メイシュが叫んで、透明な壁に頭突きをする。まだまだ、とメイシュは頭突きを繰り返した。
「怪我をしちゃうよ、メイシュ!」
 雫がメイシュの片手を握りながら言う。メイシュは頭突きを休めて憤然と言った。
「ここまで来て、出られないなんて困る」
「じゃあ私が穴を開ける。メイシュはその間に外に出て、それから私を引っ張って」
 そう言って雫はメイシュの手を離した。途端に、透明な壁は消えてメイシュの身体が前につんのめるようにして洞窟の外へと押し出されていく。メイシュは慌てて振り返り、雫に向かって手を伸ばした。
「掴め、雫!」
 雫は嬉しそうな、泣き出しそうな顔をしながら手を伸ばした。
「ありがとう、メイシュ」
 その手は空を切った。

2013/10/22

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