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花と綺羅玻璃:第1部 結晶遣いと砦の都

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第4話 歓迎会 1

「女の子連れてくならオツハール区の緑浜亭がおすすめだぜー。料理も酒も茶だってうまいし、隣の宿屋は値段は手頃で小綺麗だし。あ、あとでちゃんと話は聞かせろよっ! 楽しみにしてるからなーっ!」
「……」
 輝くばかりの笑顔で言ってきた親友の腹にアズリは無言のまま膝蹴りをぶち込んだ。うめき声をあげて悶絶するオゥヴァには悪いが自業自得というものである。時刻は朝。アズリは家主であるオゥヴァに「今日、帰り遅くなるから」と告げただけである。その返事がこれだ。何をどう捉えたらそういう返事ができるのか、それを考えるのも面倒になって脚力を行使したことは間違っていないだろう。未だ起き上がることができずにいるオゥヴァに向けてアズリは冷たい視線とともに声を降らせる。
「職場の新人歓迎会だから」
「あー……蹴る前にそれを言ってほしかったなあ……」
「悪い悪い、次も蹴ってから言うわ」
 蹴られる前に話を聞かないオゥヴァが悪いのである。というよりもことあるごとにやたらと楽しそうにアズリに絡んでくるオゥヴァにとってはおそらくアズリの反撃すらもお約束なのだ。つまり観客のいない小芝居である。一体何の意味があるのやら。
 蹴られてもなお楽しそうなオゥヴァの見送りを受けて、アズリはすっかり慣れた道を塞舎さいしゃへと向かった。
「……歓迎会、ねえ」
 アズリの足音がすっかり聞こえなくなってからオゥヴァが床の上に半身を起こして呟く。その顔は軽く笑っているが、声の調子にふざけたところはない。
「ま、あいつなら大丈夫でしょ。大分街にも慣れただろうし」
 実はまだ完全に起き上がることができないオゥヴァがそんな風に言って笑うのを、店の隅にわだかまる影がじっと黙って聞いていた。

   *   *   *

 今日のアズリは内勤だ。外勤組から上がってきた報告を分類し、他の部署に回す必要のあるものは優先的に書類に起こしていく。アズリはどちらかといえば外勤の方が楽だと感じている。何故なら、アズリが育った里の暮らしには書類などというものは存在しなかったからだ。読み物としての本以外、紙に触れることすら稀だった。だからまず書類に何を書いていいのかが分からない。幸いにして文字を書くことは里の長老たちから教わっているので何とかなるが、事務的な事柄を言い表すための用語が分からない。先輩職員が作った書類を手本にしながら必死になって今日の担当分を仕上げた頃にはすでにとっぷりと日が暮れていた。
「歓迎会前に剣塾に顔出したかったけど、多分もうみんな帰る頃だよな」
 ひとりきりの環境部事務室でそう呟き、アズリは一度椅子の上で大きく伸びをする。シェリロたちの稽古の監督をするために剣塾に赴くことはすでにアズリにとって日課になっていた。時間外手当もつくというので一応は仕事のうちに入るのだろうが、どちらかといえば仕事終わりの息抜きに近い。特に内勤で慣れない書類と格闘した後は木剣をぶつけあう少女たちが勢い余って怪我をしないようにと彼女たちを追って道場を走り回るのが存外心地よいのだ。
 今日はもともと歓迎会の予定が入っていることをシェリロたちに伝えてあるので、アズリが来なくても彼女たちは普段通りに稽古に励んだのだろう。それでもアズリとしては少しくらい道場に顔を出してから、正確にはシェリロやメルキス、エリークスの顔をちらりとでも見てから歓迎会の場に向かいたかった。
「……だって、絶対疲れるもん」
 ぼそり、と言ってアズリはごんと机に額を当てて俯く。気が重い。この仕事に就いてまだいくらも経っていないというのに、いやむしろ初めてここに来たそのときからずっとアズリは職場内で孤立する傾向にあった。
 理由はいろいろと考えられる。まずアズリがエルダーという、この辺りではそこそこ珍しい人種であるということ。正確には人種とはまた別のものなのだが、そう表現するのが一番手っ取り早い。アズリやオゥヴァの故郷、森の奥にあるエルダリの里に住む長命で魔法に長けた特殊な種族。多くの人はエルダーをそう認識している。特徴は以前同僚のノイラが言っていたように名前が長く苗字が短いことと、長命であるがゆえに成長が遅く見た目が実年齢より若くなりがちなことだろうか。そのためアズリも26歳という実年齢に反して外見は一般の人間でいうところの16・7歳程度にしか見えないらしい。それもまた周りから距離を置かれる理由のひとつになっているように思われる。
 そしてそもそもアズリは里にいた頃から人付き合いが得意ではなかった。子どもの頃からどうにも周りと歩調が合わずに場を白けさせたり、他の子どもがひとかたまりになって盛り上がっているときに輪に入っていけずにひとりでぼーっとしているということがよくあった。そんな経験が大人になった今でもアズリの人に対する態度を臆病にしている。
 さらに悪いことにあの役人登用試験前日の見学ツアーでアズリがヤイバシラを再結晶化させたことがどうやら課内で知れ渡ってしまっているらしく、たまにひそひそと何やら話題にされているように感じることがある。あのときにヤイバシラの欠片が入った左目の色は変わったまま元に戻る気配もない。何も悪いことをしたわけではないのだが、目立ってしまうということはともすると敬遠される要因になりうる。おかげで仕事に就いて10日以上経つというのにアズリが職場内で普通に話をできる相手は上司であるサクラと、初日にコンビを組んだノイラに限られている。
 そんな状態であるからアズリは歓迎会だからと皆が集まる場に行くことがひどく億劫であると感じるのだった。のろのろと最低限の私物を通勤用の鞄にしまいながら少しの時間が無駄に過ぎていく。歓迎会の開始時刻が迫ってくる。このまま仕事が終わらなかったことにしておけば、ひょっとすると。
「アズリさん、まだ残っていたんですか」
 呆れたような台詞が、さほど呆れてはいないような平坦な口調で投げかけられた。いやいやながらも帰り支度を整えたアズリが顔を向けると、廊下へと繋がる扉を開けてノイラが立っている。その表情もやはり特に呆れている様子ではなく、いつも通りに何の感情も感じさせない。
「ノイラ」
「そろそろ行かないと遅刻しますよ」
「あ、うん」
 行かない、という選択肢に心が傾いていたことを悟られただろうか。曖昧に頷いたアズリにノイラはちらりと物言いたげな視線を向けて、しかしそれ以上何も言わずに開けた扉を押さえてアズリを待っている。仕方がない。気が進まないことに変わりはないが新人歓迎会に新人が参加しないというのも問題だ。欠席するために相応しい理由があるわけでもなく、アズリは内心やれやれと溜め息をつきながら鞄を手に扉へと向かった。
 事務室を後にする前に部屋の照明を消していかなければならない。アズリは扉の横の壁に貼り付けられた小さな四角い板に手をかざす。これは照明に使われているリクィルを操作するためのパネルで、壁の中に埋め込まれた照明用のリクィル輸送管がこのパネル部分だけ壁の表層近くを通っており、さらにパネル自体に管の中のリクィルの流れを遮断するための魔法が仕込まれている。使用者はパネルに仕込まれた魔法を起動するだけで簡単にリクィルの流れを遮断し、この場合は照明を消すことができるのだ。魔力物質であるリクィルがすぐそばにあるため、起動魔法を使うのに手間はかからない。パネルに触れるか触れないかといった程度で何の苦もなく操作ができる。これは塞都さいとの一般家庭でも普通に使われている仕組みで、アズリがこの街に来て感激したもののひとつだった。
 そうして事務室の照明を落として扉を閉めるとノイラが「早くしてください」とアズリを急かしてくる。歓迎会の会場は塞舎の中だ。アズリはまだ利用したことがないが塞舎内には職員が食事をとるための部屋が2か所に用意されている。基本的には職員であればどちらの部屋を利用してもいいと説明されているが、慣習として片方は軍、つまり防衛課職員の専用に近いものになっているらしい。したがって今回アズリたちが利用するのはそれとは別のもう片方の部屋ということになる。
 会場の食堂にはすでにアズリとノイラを除いた全ての環境課職員が揃っていた。時間にはぎりぎりで間に合っているものの先輩職員に睨まれ、アズリたちはそそくさと空いている席に移動する。会は環境課長であるサクラ=ディングトーンの乾杯の挨拶から始まり、新人職員がひとりずつ簡単に自己紹介をするとあとは好きに飲み食いするだけの時間となった。すでに先輩職員と打ち解けている新人も少なくないが、アズリには自分から気安く声を掛けられるような相手はいない。仕事の後で空腹を感じてはいるものの目の前の料理に手を付ける気にもなれずただ置物のように椅子の上でぼうっとしているより他にすることもない。頃合いを見て帰ろう、とアズリがひそかに決意を固めたそのときである。
「やあ、アズリスタルさん」
 そう言ってアズリに声を掛けてきたのは彼の上司であるサクラだった。すでに少々とはいえない量の酒を飲んでいるようでほんのりと頬が赤い。色白だからすぐに顔に出るだけなのかもしれないが。
「居心地悪そうにしているね」
「はあ……慣れていないもので」
「故郷はエルダリだったかな。向こうではこういう宴席というのはあまりないものなのかい」
「なくはないです」
 アズリの故郷エルダリの里では長老たちがよく寄合と称した酒盛りをしていた。出てくる酒はこのあたりのものとは違ったが、酔って騒いでいる雰囲気はそれほど変わらない。ただし向こうは翌日の仕事のことなど一切気にしない分、こちらよりひどい酔いつぶれ方をする者も多かったが。
 アズリはというと、酒に酔うとすぐに気分が悪くなるためいつもコップをなめる程度でごまかしていた。そして鋭くそれを見付けた長老から絡まれ、相手がつぶれて眠るまで付き合わされるのが常だった。そんなこともあってアズリはそもそも宴席が好きではない。
「酒が弱いなら料理の方を遠慮しないで食べてくれ。どうせ飲む連中は食べる方はおろそかになって余すんだ。それはもったいないだろう?」
サクラはそう言って小魚のフライを盛った大皿をアズリの方へ寄せてくれる。
「肉はどうだい。鴨と羊はどっちが好きかな」
「あ、わ、サクラさん。そんなに気を遣わないでください」
「何を言っているんだい。今日は新人歓迎会なんだから、俺たちが君たちをもてなさないでどうするんだ」
「そう言われても……!」
「ひょっとして甘いものの方がよかったかな。確か厨房にデザートの用意が」
「サクラさん……」
 上司を相手に頼むから放っておいてくれとも言えず、アズリはそうしてしばらくの間サクラによる御馳走責めに遭ったのだった。

2017/11/03

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