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花と綺羅玻璃:第1部 結晶遣いと砦の都

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第8話 宣誓 1

 故郷の年寄りたちはよく昔話をする。彼らが若かった頃、人々は暗澹たる時代の流れの中で未来を見失い、ただ俯きながら毎日を耐えていたのだと。そして今はいい時代になったと笑みを零すのだ。彼らが微笑みながら昔の話をするのをアズリを含む里の子どもたちは思い思いの表情で眺めていた。
 先の見えない時代。それは簡単にいえば生活を支えるエネルギー資源の枯渇によってもたらされたものらしい。ならばそこに光明を与えるものは何であるのか、答えは簡単だった。
「先生の故郷にはヤイバシラがない頃を知っている人がいるんですか」
 黄色い煉瓦で舗装された通りを足早に歩きながらシェリロが素直に驚きを顔に出す。うん、と頷いてアズリは少しだけ天を仰ぐ。
「本当に年寄りだけね。長老と、あと何人か。何百年前って言ってたかな」
「エルダーは長生きだって聞いていましたけど、そんなに長生きなんですね」
「元気なものだよ。昔のことをみんな覚えてる」
 そもそもエルダーというものは人間の中で特別に長い寿命をもつ者を指す呼称らしい。らしい、というのはアズリもそれを里の年寄りから聞いただけだからだ。エルダーは魔法が得意とよく言われるがそれは長命であるがゆえに知識を溜め込んだ者が多かったり、そもそも魔法と相性のいい者が長生きしやすかったりするためであり、エルダーであれば必ず魔法が得意なわけではない。彼らは長く生き、多くの物事を見聞きする。アズリのように若いエルダーはノーンと呼ばれるエルダーではない人間たちとそう変わらないのだ。
「ヤイバシラがリクィルを供給するようになってから塞都さいとは随分変わったらしいよ」
「そうでしょうね。リクィルがなければ灯りもつけられないし料理もできません」
「大昔は木を擦り合わせたり石を打ち合わせたりして火をつけて、それを消えないように大事にして灯りやかまどに使っていたんだって。もちろん、魔法で火をつけられる人もいたけど」
 何もないところから火を呼び出せるような魔法使いは多くない。魔法は大抵の場合、空気の中に混ざったごくわずかな魔力物質に干渉することで自然現象を人為的に発生させる。それがリクィルという高純度の魔力物質によりほんの少しの干渉で魔法のような現象を起こすことが可能になった。パネルスイッチに触れるだけで灯りがつき、コックをひねるだけでかまどに火が入る。それもこれも全ては塞都にリクィルを永続的に生み出すヤイバシラがあり、そこから取り出したリクィルを街中に行き渡らせるパイプラインが整備されているからなのだ。ただ、リクィルは危険な物質でもある。
 少しの干渉で魔法のような現象を起こすということは、それが意図しない干渉であっても同じ現象を生じさせる可能性があるということだ。液体のリクィルは特に不安定で、触れるだけで爆発を伴って火を放つ。そのエネルギーは煉瓦を溶かし、人に致命傷を与えるのに充分だ。だからこそヤイバシラやリクィル輸送用パイプラインには事故を防ぐためのさまざまな対策が施されている。
「リクィルは、ヤイバシラは、本当に塞都にとって重要なものなんですね」
 改めて、という調子でシェリロが言う。その眼差しの先には黄色い煉瓦で造られた街並みが続いている。アズリはというと「そうだね」とも「そうかな」とも言えずにわずかに小首を傾げて同じ街並みを見ながら足を動かす。もしも今、突然にヤイバシラがなくなってしまったなら、この街はひどく混乱するのだろう。ましてやそれがリクィルの流出を伴う崩壊という形であったなら街が受ける被害はあまりにも大きい。そういう意味でいえばヤイバシラは塞都にとってとても重要なものに違いない。
 アズリは自分の思考に促されて左手で左目のまぶたに触れる。初めてシェリロと出会ったあの日、ヤイバシラは倒れなかった。あのときはただただ無我夢中で流れ出るリクィルを結晶化したアズリだったが、思い返してみればとんでもないことをしたのかもしれない。悪いことをしたわけではないと思うが目立ってしまったことは確かで、おかげで塞舎さいしゃの中でもすっかり顔と名前が知れ渡っている風だった。たとえ悪いことでなくとも人と違うことをして目立てば集団から弾かれる。
 今はまだ仕事を覚えることで頭がいっぱいだからいいのだ。これがもう少し慣れてきて周りの人間模様に意識が向かうようになれば互いに違和感を隠しきれなくなるだろう。今ですらアズリが職場で言葉を交わすのはサクラとノイラだけで、他の職員とはたとえ外勤で組むことになっても必要最低限の話しかしていない。結局どこにいてもそうなるのだ、とアズリは束の間自分の協調性のなさに溜め息をつきたい気分に駆られる。それを断ち切るような絶妙のタイミングでシェリロがアズリを呼んだ。
「この辺りじゃないですか、アズリ先生」
 爆発音が聞こえた方角というと確かにこの辺りだろう。ここミキト区はヤイバシラのあるオツハール区とオゥヴァの店のあるキガラキ区の間に位置しており、治安は特別よくも悪くもない。塞都で治安が悪くないというのは小さないざこざは毎日のようにあるが一度に多くの人命が危険に晒されるような事件は滅多にないという意味だ。そういえばアズリが塞舎に入って最初の外勤でひったくりに遭い、犯人を取り逃がしたのもミキト区だった。
 アズリもあのときよりはいくらかこの街に慣れている。入り組んだ道を形作っている背の高い壁はそのほとんどが民家のそれだ。塞都に五つある街区はそれぞれにおおよその役割を持っていて、ミキト区はいわゆる住宅街にあたるらしい。民家が多いということは小さな区画が多いということであり、そこにリクィルを行き渡らせるための輸送管は必然的に枝分かれが多く複雑な構造になる。触れると危険なリクィルであるから、輸送管はたとえば雨樋のように壁に取り付けるわけにいかない。かといってこの辺りは道を歩いていたらいつの間にか民家の屋根の上にいてそこから階段を下ればまた道があるというような立体迷路の構造をしているため足下に管を埋めることも難しい。
 ならばどうするか。答えは壁の中だ。塞舎の建物もそうだが、リクィル輸送管を細かく安全に張り巡らせるには壁の中に埋め込むのが一番らしい。
 あった、とアズリは顔をしかめて道の先を見た。敷き詰められた煉瓦の上に淡く光る赤紫色の液体が溜まり、そこから白い煙が上がっている。リクィルに違いない。もっと近付いてみると元は黄色だったはずの煉瓦表面が緑と紫のまだら模様になっていた。近くの壁の中にリクィル輸送管があるはずだ、とアズリは辺りを見回す。
「先生、上です」
 シェリロが指差したのは液体が溜まっている箇所の真上だった。そこには道にせり出すように作られた小さなバルコニーがあり、落下防止用の手すりに補強のためらしい縄が巻き付けられている。リクィルと思われる液体は縄を溶かしながら下へと滴り落ちているのだった。さらに視線を上にやるとバルコニーの脇の煉瓦壁が何か強い力で叩かれたかのように割れて中身が露出している。そこに金属の色を見たアズリは「あれかな」と呟く。
 煉瓦造りの建物は綺麗に造られていると表面にほとんど凹凸がないのだが、ここのものはそうでもないようだ。大きさの揃っていない煉瓦、はみ出した漆喰やそれが風化して剥がれた跡にできた穴などを手がかり足がかりにしてアズリはするすると壁を登り、バルコニーの手すりに左手をかけて身体を安定させた。そして傍らを見て驚く。
「シェリロ!? なんで君まで。危ないよ!」
「大丈夫ですよ、このくらい」
 そう言ってシェリロはアズリの横からひょいとバルコニーへと飛び移る。危なげない身のこなしはたいしたものだがアズリとしてはそれでもできれば危険なことはしてほしくないところだ。そんなアズリの心境を知ってか知らずか、シェリロはバルコニーの上から割れた煉瓦の壁を観察している。予想した通り壁の中には金属製のリクィル輸送管が埋め込まれていて、そこに走った亀裂から淡く光る赤紫色のリクィルがじわじわとにじみ出ていた。
「シェリロ、危ないから下がっていて。とにかく漏れているところを塞がないと」
「……大丈夫なので、ここで見ていてもいいですか」
 あまりにも色のない声がそう言って、アズリは思わずぎょっと隣を見る。シェリロは声と同じく感情の窺えない目でじっとアズリとアズリの手元を見つめていた。
「シェリロ?」
「早くしてください。できるんですよね?」
「あ、うん」
 急かされ、アズリの手は半ば自動的に動く。液体のリクィルに素手で触れることは危険なのでできない。だからにじみ出るリクィルの輝きが指に映る程度の近さで、そこにある魔力の塊を操る。それってどうやるの? と以前尋ねてきたのはオゥヴァだったか。どうやるのかはアズリもうまく説明できない。リクィルの結晶化が決して簡単な魔法でないことは分かるのだが、同じ程度に難しい他の魔法を使うことのできないアズリにとって何故それだけできるのかということも、それをどのように実行しているのかも、謎でしかないのだった。分かるのはただひとつ、できるという事実だけだ。
 とん、とアズリは淡い赤紫色に輝く半透明の結晶表面を指で叩く。触れただけで皮膚を融かす液体魔力は凝縮された魔力の結晶体となって静かに夕日を映していた。

2019/09/11

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