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花と綺羅玻璃:第1部 結晶遣いと砦の都

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第1話 結晶遣い 2

「『ヤイバシラ』崩壊を未然に防いだヒーロー様、おかえり」
「……情報早いな……」
「アズリのことだからね」
 夕刻をとうに過ぎた宵闇の中、灯りのついた部屋の扉を開けて青い髪の青年が紅い髪の彼を出迎える。外にそびえる建物の向こうに大きく煌めく赤紫色の結晶樹はまるで何事もなかったかのように夜の街を照らしていた。
「怪我はどうなの。目、見える?」
 青い髪の青年が挨拶もそこそこに紅い髪の彼の左目を覆う眼帯を取ろうとする。紅い髪の彼はその手をするりとかわして部屋の奥へと歩いていく。ああっ、と大きな声を出して青い髪の青年が後を追う。
「おいアズリー!」
「一応見える。目に入った『ヤイバシラ』の欠片はすぐに取ってもらったし、目そのものは傷付いてなかったから」
「それならよかった。あれ、でもじゃあなんで眼帯してんの?」
「……」
「アズリー、無視すんなよー」
 アズリと呼ばれる紅い髪の青年は上着を脱いで近くの椅子の背もたれにかけるとそのまま椅子を引いてそこに座る。疲れた、とその口がひどく億劫そうに言葉を絞り出した。
「アズリっ!」
「わっ!」
 青い髪の青年が椅子の後ろからアズリの頭を押さえ込む。
「やめ、ちょ、やめ、オゥヴァ!」
「こっちが心配してんのにそういう態度取るのが悪いんだぞー」
 アズリの抵抗も虚しく、青い髪の青年・オゥヴァは抱え込んだ頭から白い紐で留められた眼帯を引き剥がす。ああっ、とアズリが情けない声をあげた。眼帯を取り戻そうと振り返った彼の顔をオゥヴァが両手で挟み込んで固定し、そして。
「えっ、何これ。どういうこと」
 オゥヴァが戸惑った声を出して、アズリはいかにも面倒くさいという表情を隠しもせずに目を泳がせる。説明しようにも何をどこから話せばいいものか考えることも憂鬱だ。どう話したところできっとオゥヴァはひどく心配するのだろうから。
「どういうことって、見たまんま」
「左目がピンク色」
「……」
 そうなのだ。アズリの両目は元々どちらも同じアメジストの薄紫色をしていたのだが、今日の日中に起きたヤイバシラの事故の際にその欠片が入った左目だけがどういうわけか変色してかなり赤みの強い、つまりピンク色になってしまったのである。アズリ自身、連れていかれた救護所で手当てを受けた後に鏡を見てひどく驚いた。まるで左目だけが別人のものに置き換わってしまったような、そんな居心地の悪さを感じもした。ただそんな見た目とは裏腹に痛みもなければ目のかすみも何もない。ヤイバシラの欠片、つまりリクィルの高密度の結晶が目に入ったことから考えれば信じられない話だ。
 結局何も説明できずに黙っていたアズリの頬を挟むオゥヴァの手が小さく震える。そして彼はたまりかねたように叫んだ。
「俺のアズリがキズモノに!」
「お前んじゃないし……」
 なんとなくそのようなことを言われるのだろうと分かっていたのでアズリのツッコミは弱い。怪我はともかく疲れているのだから余計なことに体力を使いたくないのである。たとえばやや過剰なほどに心配してくる親友の相手だとか。
 故郷から塞都に出てくるにあたって快く部屋を貸してくれた親友には感謝してもしきれないが、だからといっていちいち彼の言動全てに付き合ってはいられないのである。アズリは顔を固定されたままそばの机に手を伸ばして本とペンを取る。付箋の貼られたページをめくろうとして、さすがにこのままでは本を読むことができないと気付いてオゥヴァの手を振り払った。オゥヴァはあっさりと手を離しながら今度は開かれた本を覗き込む。
「あれ、寝ないの。疲れてんだろ」
「明日本試験だっての。寝てられるかっ」
「おいおい、その状態で試験やるのかよ。塞舎さいしゃのお偉方には人情ってもんはないのかね」
「ヤイバシラで事故があったなんて前代未聞だろ。僕たちには箝口令が出た」
「あれま」
 オゥヴァはラピスラズリの目をすいと細めて口元を歪める。それを視界の端に捉えながらアズリは「珍しいな」と胸の内で呟く。オゥヴァという男は柔和な顔立ちをしていて、表情にしてもいつも何やら楽しそうに笑っている。今も笑顔でいることには変わりないが、その笑みには冷え冷えとした感情が透けて見えるような気がした。
「いつまで経っても隠し事がお好きだねえ、この街のお役人様は。それを知っててなんでアズリはそっちの立場になりたいの?」
 オゥヴァの声はふざけているときと変わらない高さを保っている。しかし彼がそれだけの男でないということはおそらくアズリが一番よく知っている。そしてアズリがまだ知らない彼がいるということもまたよく分かっているつもりだ。アズリはただ正直に自分の気持ちを言葉にする。
「ヤイバシラの近くに行きたかった」
「それは今日もう叶ったじゃん」
「そうなんだけど。でも僕みたいな何もできないのがこの街で生活していくには役人にでもなるしかないって。そう言ったのはオゥヴァじゃん」
「そりゃあね。知恵か力かあるいは地位か。何かしらそういうもんがないと塞都ではただただ奪われるだけ。命まで取られたくなければ身を守るための武器が必要だ」
 オゥヴァの自宅であるこの建物は彼の仕事場も兼ねている。壁に掛けられているのは色とりどりの装飾を施された仮面だ。薄暗い部屋の中でランプの灯りに照らされて壁に床に影を落とすそれらはともすると不気味で、アズリの傍らに立って薄い笑みを浮かべているオゥヴァの表情もまた壁の仮面に紛れて何が本当なのか見失いそうになる。
「オゥヴァ」
 アズリは本をめくるのを一旦諦めて親友の顔を見上げた。
「身を守るのは防具だよ。武器じゃない」
「まあ、お前はそれでいいよ。今日は何もできなかったけど、街のゴロツキ相手だったら俺がいくらだって守ってやる。お前の安全は俺が保障する」
「そんなことしなくていいって言ってるのに」
 初め、オゥヴァはアズリが塞都に行くのを止めようとした。アズリがどうしても行くと言ったら今度は2・3日泊まって帰ることを勧めてきた。それでも塞都で生活したいと言って聞かないアズリに対してオゥヴァが示した最後の譲歩案が、自分の店兼自宅であるここで暮らすことだった。屋号を『仮面屋』というこの店はその名の通りに仮面を作って売る店だが、それだけの場所ではない。アズリたちが決して外部に漏らさないよう言い含められたヤイバシラでの事故の詳細をオゥヴァが知っているというのはつまりそういうことだった。彼が言うのであれば本当に塞都というのは危険な街で、アズリが生活していくには厳しい場所なのかもしれない。
 アズリもオゥヴァのことを一応信用してはいるのだ。だからその言葉がただの脅しにすぎないとは思っていない。でも、それでも。
「この街でお前を失いたくないんだ、俺は」
 オゥヴァがそう言ってふいとアズリに背を向ける。ん、と小さく頷いてアズリはその背中に声を掛ける。
「ありがとう、オゥヴァ」
 本を開きながら告げた言葉に対する返事はなかった。それでかまわない。アズリは翌日の試験に向けた追い込みに専念していく。かち、こち、かち、こち、と壁の仮面に挟まれるようにして掛けられている時計が静かな空間に時を刻んでいく。
 アズリが読んでいるのは塞都の歴史と現在の街の仕組みについてまとめた資料本だ。この街の図書館にあるものをオゥヴァが用意してくれた。元々あまり勉強の得意ではないアズリにとってオゥヴァの手助けはなくてはならないものであったりする。
 どのくらいの時間が過ぎただろうか。本の内容は一応頭に入ってくるものの、それを明日の試験でうまく解答として導き出せるかどうかは全く自信が持てない。記憶力というものに関していうなら平均以下だと自負するアズリである。焦りが頭の中をぐるぐるとかき乱し始める。
「おーいアズリー。また床に結晶散らばってんぞー」
「あ、悪い。後で片付ける」
「いいって、今夜は勉強しとけ。けどあんまあちこちにばらまくなよー?」
「ああ、うん」
 向こうで何やら作業をしていたオゥヴァに声を掛けられて初めて気付いた。アズリは一度本から顔を上げて机やその周りの床に散乱した白っぽい半透明の小さな結晶に目をやる。思った以上にたくさん散らばったそれを見て「うわあ」と小さく呆れ声を出した。
 これはアズリの幼い頃からの癖で、何かに集中したり考え事をしたりしていると無意識のうちに手近な何かを結晶化させてしまうのだ。これはおそらく部屋の空気に含まれている微かな水分を結晶にしたものなのだろう。そう、アズリが唯一人並み以上にできる……というよりも何故かできてしまうのがこの結晶化の魔法なのである。幼い頃は無意識にしかできなかったが今ではさすがに意識して結晶を作ることもできる。だから今日の事故のときにもひょっとするとリクィルの再結晶化ができるのではないかと思って手を出したのだが。そうでなければきっとアズリはただ茫然とその場に立って見ているだけだったのだろう。
 いつのまにかオゥヴァが小さなほうきとちりとりを手に机の周りの結晶を丹念に集め始めていた。
「おー、今日のは上物。アズリー」
「なんだよ」
「これ綺麗なやつもらっていい? 仮面の飾りに使えそうだ」
「好きにして、あといい加減集中させて」
「あんがとー」
 アズリは再び本を開き、この街とヤイバシラとの関わりについて書かれたページを読み込んでいく。歴史上一度たりとも崩れたり折れたりしたことのないあの結晶樹がどうして今日に限って突然破片を散らしたのか、その答えに繋がりそうな記述はどこにもない。強いて挙げるとするならば、危険だからと普段は人を近付けないようにしているヤイバシラの管理に穴があったことが異例といえば異例なのだろうか。
「そういえばあの人、ちゃんと逃げられたんだよな……?」
 アズリがヤイバシラの表面を再結晶化することに成功したとき、すでにあの白い髪の少女は姿を消していた。部外者がその場にいたことが知れれば処罰の対象にもなりかねないのだから、逃げるという判断は彼女にとって正しかったのだろう。アズリとしてもそれを咎めるつもりはない。
 ただ無事でいてくれればいい。少女のクリソプレーズの目を思い出しながらアズリはそっと願うのだった。

2017/05/23

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