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花と綺羅玻璃:第1部 結晶遣いと砦の都

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第2話 塞都 1

 まだ変な色をしている。アズリは鏡に自分の姿を映しながら溜め息をつく。この塞都さいとのエネルギー供給を担う支柱ともいえる結晶樹、もしくはヤイバシラが崩壊しそうになった事故から四日が経っていた。アズリの手による再結晶化は成功したようで、あれからヤイバシラに変化はない。そして同じくあのときヤイバシラの破片が入ったアズリに左目も色が変わったまま元に戻る様子はないのだった。未だに見慣れない自分の目の色を困り顔で眺めながらアズリは本来の目的である身だしなみの確認へと移る。
 左耳の上でくくった赤ワイン色の髪は乱れていない。昨晩は部屋を貸してくれているオゥヴァの勧めもあって早寝をしたためか顔色もいい。シャツの襟は曲がっていないし、昨日手に入れたばかりの深い青色のフード付きケープもアズリの身体にぴったりと合っているようだ。最後に胸元に垂らした結晶のペンダントに触れ、アズリは小さく「行ってきます」と呟いた。

 塞都という街は五つの花弁を持つ花のような、星の光のような形をしている。花でいうなら蕊のある中央部には街で一番背の高い建物があり、街の公共施設や警備機関などは全てそこに収まっているのだった。塞舎さいしゃと呼ばれるその建物はこの街でヤイバシラに次いで重要な構造物なのである。
「……でかい」
 オゥヴァの店から入り組んだ街路を抜けて、アズリは塞舎の入り口で立ち竦んでいた。何しろ入り口がすでにアズリの身長の三倍はあろうかという高さで、さらに入り口の左右にはそれぞれ手に槍を持った軽鎧姿の門兵がひとりずつ立って常に厳しい目つきで辺りを睨んでいるのだ。
「……入りにくい」
 アズリはそっと門兵から視線を逸らしつつ地面に向かって呟く。とはいえここまで来てまさか引き返すというわけにもいかない。やがてアズリは小さく「よし」と気合を入れてから塞舎の入り口をくぐった。
 門兵たちはアズリをちらりと見ただけで何も言わずそこに立っていた。アズリは少しほっとしながらも内心で首を傾げる。まさか門兵たちは塞舎に用のある人間の顔を全て記憶しているとでもいうのだろうか。
 そんな疑問を抱きつつアズリが建物の中に消えると、ふたりの門兵は互いにそっと目配せをする。アズリの通った後には彼の気持ちの昂りを証明するかのように小さな結晶が落ちていた。それが陽射しに煌めくのを眺めて門兵の片方は肩を竦め、もう片方はやれやれとでもいうかのように首を振るのだった。
 アズリはそうとは知らずに塞舎の中を歩く。古い砦を元に増改築を繰り返してきた建物は入り組んでいて油断をすると迷子になりそうだ。実際に迷子になるものも多いのだろう。今日に限っては親切なことに廊下のあちらこちらにこんな張り紙がしてあった。
『新規採用職員説明会会場はこちら』
 アズリは張り紙を確かめながら慎重に呼ばれた会場へと向かった。そう、アズリは今日、塞舎の新規採用職員としてここに来たのである。以前ヤイバシラを含む街の要所を見学したときには塞舎脇の夜番詰所に集合で、その後に行われた試験は街を五つに分けた区域それぞれにある公会堂を会場として使用した。だからアズリにとって今日が初めての塞舎なのである。
「それにしても……よく受かったよな、我ながら」
 迷路のような廊下を歩きながらアズリはふとぼやくように言う。オゥヴァの力添えがあったとはいえ、そもそも勉強というものが苦手なアズリにとって今回の試験は決して自信を持てるような出来ではなかった。だから半分は諦めた気持ちでいたのだが、昨日になって試験会場にもなった公会堂に呼び出されたのだ。そこで役人の制服であるケープと今日ここへ来るようにとの通知を受け取ったときには一瞬夢かと疑った。夢でないと理解してもなおどことなく不安なのはやはりその前にヤイバシラの事故があったからだろうか。
 アズリは望んでこの街に来て、ここで暮らしていくためにと望んで役人登用試験を受けた。ひっそりと過ごしていた故郷での暮らしにはそもそもあまり未練もない。ただ故郷で一番高い木に登って見た遠くの空の不思議な光が、それを生み出していたヤイバシラという象徴を戴く塞都という街が、アズリを強く引きつけた。他には何も考えていなかった。
 今更ながらに不安は募る。果たして自分はこの街でそれなりにうまく過ごしていくことができるのだろうか、と。それはアズリにとって生まれ故郷ですら満足にできなかったことだというのに。
 最後の張り紙が目的地に着いたことを知らせる。
『新規採用職員説明会会場:環境課』
 アズリは一度扉の前で立ち止まって軽く深呼吸をしてから取っ手を引いた。
「おはようございます」
 挨拶くらいはしろ、と出掛けにオゥヴァから言われたのでその通りにする。今更だが彼はアズリの親か何かのつもりだろうか。年齢だけでいえば彼の方がひとつ下なのだが、どうにも互いにそんな気がしていない。
 返事はすぐには来なかった。扉の向こうは殺風景な部屋で、隅に木製の椅子が三つばかり積まれている。そして椅子より少しだけ多い数の人間が今声のした方向、つまりアズリの方を見ているのだった。一度に複数人の視線にさらされ、アズリは思わず少しだけ顔を引きつらせる。
「……おはようございます」
 たっぷりと間を置いたあとでやっとアズリの挨拶に声を返した者がいた。浅い色の金髪に鮮やかなエメラルドの目をして眼鏡をかけた青年である。何より青年の白い肌がアズリの目を引く。
 他の者もほとんどが色白の肌をしていた。中にひとりだけアズリと同じ少しオレンジがかった肌の者がいる。塞都に古くから住むのは色白の人種が多く、森の方に行くにしたがってオレンジの肌をした人種が増える。逆に海の方へ向かうと褐色の肌の人種が主になり、山ではほとんどが浅黒い肌をしているという。なるほど、ここに集った者のほとんどが塞都あるいはその周辺の出身者ということらしい。
 わずかな居心地の悪さを感じながらもアズリは大人しくその部屋で待つことにする。やがてノックの音と共に「失礼する」と澄んだ声が扉の向こうから響いた。そして応えを待つ間もなく声の主が扉を開いて部屋の中に入ってくる。
「待たせてしまってすまない」
 そう言って現れたのはひとりの若い男だった。淡くオレンジがかったピンク色の髪にやはり白い肌、そしてガーネットのような深みのある赤色の目を持っている。羽織った制服のケープの色は赤紫だ。他に目立つのは髪を半分以上覆っている白地に紫色の刺繍が施されたバンダナだろうか。
「俺はこの環境課を預かっている、城爵じょうしゃくのサクラ=ディングトーンだ。課長で爵位持ちといっても俺を相手にかしこまる必要はない。なんでも気軽に話してくれ」
 赤紫色のケープの男はそう言って整った顔に柔和な笑みを浮かべた。ヤイバシラ事故のときアズリ達の見学グループを引率していたのが彼で、そういう意味では何やら縁があるのかもしれない。城爵というのは塞都の行政の要を担う家系に代々受け継がれる爵位のひとつだったように記憶している。世襲とはいえ爵位を受ける者は当代の家の中で最も秀でた者である、とオゥヴァがまとめてくれた資料にはそのように書かれていたような気がする。
 サクラははっきりとした口調で丁寧に業務内容の説明を始める。
「俺たちの職務は大きく分けてふたつ。ひとつは塞都の住人からの要望を受けて街の整備や建物の修繕計画を立て、予算を組んで実際の作業を請け負う機関への橋渡しを行うこと。こちらはほとんどが塞舎の中で済むから通称内勤という。もうひとつは自ら街に出て見回りをしながら改善の必要な箇所を探して内勤に伝達すること。こちらは通称外勤で、街の警邏の役目も担うことになる。たとえば何か問題が起きたときに兵士を呼ぶ必要があるか、あるいは塞舎の上層部に報告するべきかなどを判断しながらその場を収めるのも外勤の仕事だ。そうはいっても俺たちはあくまで環境課だから、治安の悪い夜間の警邏はしないし、地下街を受け持つこともない。ただし自分の身の安全は自分で守ってくれ」
 サクラの話を聞きながらアズリは少しだけ目を伏せる。街の環境整備を担当するこの部署においても外勤の際には自衛が必要なほどに塞都の治安はよくないのだろうか。おそらくそういうことなのだろう。オゥヴァからもくれぐれも気を付けるようにとうるさいほどに言われているものの、今のところ通りを歩いていて何か危険な目に遭ったり事件を目撃したりといったことはない。だからアズリとしては塞都が危険だという実感はあまりない。できることならないままでいたい。
「内勤と外勤は五日ごとに二日の休日を置いて交代する。どちらか一方だけを務めるということはできないから、そのつもりでいてくれ」
 どうやら安全な塞舎内だけで仕事をするというわけにはいかないらしい。当たり前といえば当たり前の話だ。
「じゃあこれから外勤の組分けを発表する。新人はまず新人同士で組んでもらって、二人組で街を歩くことに慣れてほしい。本格的な見回りは二回目の外勤から先輩職員をつけて行うことにする」
 サクラはてきぱきと事を進めていく。見たところアズリや他の新人職員とそう変わらない年齢のように思えるのだが、その立ち居振る舞いはすでにベテランの域に達しているようだった。
「……三組目、アズリスタル=リーバスとノイラ=モルナグースト。以上が第一クールの新人外勤班だ」
「え、あ」
 途中から話を聞いていなかったアズリは突然出された自分の名前に驚き、きょろきょろと周りを見た。 「今名前を呼んだ者は待機室の棚からひとり一本警棒を携帯して早速街に出てくれ。とりあえず五つの街区を一通り回ったら帰還して報告。それで今日の業務は終わりだ」
 サクラの指示を聞いて他の新人職員たちはすぐに動き出す。しまった出遅れた、と思いながらアズリも何とかその流れに乗って部屋を出た。

2017/07/22

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