サイトトップへ戻る

花と綺羅玻璃:第1部 結晶遣いと砦の都

←前へ/目次/次へ→

第6話 庭園 2

 塞舎の建物は奇妙な形をしている。元々は今の本棟だけで砦の役割を果たしていたものが、時代とともに様々な用途の別棟が付け加えられ、さらにそれぞれの棟と本棟とを繋ぐ渡り廊下が設置された。その結果現在の塞舎は見ようによっては四方八方へ枝を伸ばした大樹のようにも見えるのだった。
 そんな枝の1本である吹き抜けの渡り廊下から、アズリはぐいと身を乗り出して下を見やる。すると奇妙なことにこの渡り廊下の下もまた同じような吹き抜けの渡り廊下になっており、しかも真下ではなくわずかに出っ張っているではないか。
 どうやら下の廊下の方が上のものより幅が広いということらしい。これは今のアズリにとっては大変に好都合だ。
「このくらいの高さなら飛び降りても平気そう」
 もしも誰かに見られれば盗賊か密偵かと疑われそうなものだが幸か不幸か周りに人影は見えない。アズリは渡り廊下のあまり高くない壁を軽々と登り、両手足を壁の縁にかけた状態で下を覗き込む。
「よし」
 飛び降りるのに問題のある高さではない。そう判断したアズリは手を離し、足で軽く壁を蹴った。ふわりと服の裾が風を孕んで浮かび上がり、ほどなくして靴の底が目当ての地点につく。足首と膝を柔らかく曲げて衝撃を吸収したところで服が重力に従って元のあるべき位置に戻る。その感覚はアズリの好むところであり、自然と口元に笑みが浮かんだ。
 が、状況は先程とあまり変わっていない。屋根のない渡り廊下から本棟へと続く扉を開けようと取っ手に手をかけるも、それはびくともしなかった。どうやらこちらも鍵がかかっているようだ。里では夜眠るとき以外は玄関の鍵をかけない家も多かったというのに大層厳重なことである。さすが都会だ、と感心している場合でもない。
「だったらせめてこっち……!」
 上階から飛び降りた勢いのままぐるりと身体の向きを変えて反対側、つまり渡り廊下から繋がる別棟の扉に手をかける。それは心配したような硬さをアズリの手に伝えてくることはせずとても簡単に意図した方向へ動いた。
「あ、やった、こっちは開いてる。すみませーん、お邪魔しまーす」
 鍵が開いているということは誰かいるのかもしれない。それならその相手に道を尋ねればいい。アズリはごく単純な思考で扉を開けた。そして息を呑む。
 そこに広がっていたのはアズリが予想だにしていない景色だった。天井の作りが他の部屋と異なり自然光を多く取り込むようにできている。煉瓦の床の上にはいくつもの素焼きの鉢が並べられ、中には黒い土と輝くほどに活き活きとした緑色の植物が行儀よく収まっている。部屋の奥は床そのものに大きな鉢が埋め込まれており、薄紅色の可憐な花を咲かせる低木が根を張っていた。室内だというのに空気に緑の匂いが多く混じっていて、アズリは思わず深呼吸する。
「すごい。久しぶりにこんなに植物を見たな……ん?」
 鮮やかに咲いた花の陰で、花より際立つ存在が簡素な椅子に腰掛けて本を読んでいた。まるでそこだけ光が当たっているかのように自然と目が引き付けられる。同時にアズリの足はそちらへ向かって歩き出していた。近付くと低木の向こうのその姿がよりはっきりと見えてくる。
 赤く長いマントの背にはアズリのケープに施されているものと同じ花のような星の光のような模様が刺繍されている。それは塞都さいとの形を模した塞舎職員の身分を示す紋章である。そしてアズリたち環境課職員がケープを制服に指定しているのに対して長いマントを指定しているのは防衛課であり、その中でも塞舎に勤務しているのは塞都の警備防衛を担当する第一警邏部……通称『騎士』と呼ばれる職員だった。塞舎や街区の門を守る待機防衛部職員が『兵士』と呼ばれるのに対して敢えて区別されている騎士はいわゆるエリートであって、有事の際にはそれぞれが所有する馬や飛竜などの騎獣を駆って都を守るための剣となるのだという。
 騎士についてアズリが知っているのはそれくらいで、彼らが普段塞舎の中でどう過ごしているのかはまったく知らない。だからこのような別棟の部屋でひとり植物に囲まれて本を読んでいるのが普通であるのかそうでないのかも分からない。分からないが、騎士と聞いて思い描く姿とは随分異なる。
 アズリの視線に気付いたのか、あるいはずっと気付いていたのかもしれないが、騎士が本から顔を上げてこちらを向く。
 思わず息を呑んだ。軽く肩に垂らされた桃の花弁色をした髪は艶やかで、こちらを見ている切れ長の目は同じ色の睫毛に縁取られかつそれより深く濃く鮮やかなルビーの光を放っている。その目つきは鋭いがどこか憂いを帯びているようにも見え、通った鼻筋の下で淡く色づいた薄い唇が開く。
「何か、用か」
 静かでまろやかな声がわずかに厳しく問い掛ける。どこか聞き覚えがあるようにも感じたがアズリは深く考えることもできずに慌てて首を振った。
「あ、いや、僕はたまたま……ええと」
 ルビーの瞳が明らかに不審者を見る様子でアズリを見ている。無理もない。扉を指差し困ったように笑うしかないアズリに対して騎士は真っ直ぐな眼差しを向けたままもう一度口を開いた。
「見学なら自由にしてかまわない」
 あまり感情の窺えない淡々とした声だったが、不思議とそこに拒絶の気配を感じることはなかった。だからアズリも自然と安心して再び周りに茂る緑の群れを見渡す。
「えっと……綺麗な場所、だね。塞舎の中にこんな部屋があるなんて知らなかった」
「ああ。塞都は人工物が多く自然が少ない。だからここに来るといい気分転換になる」
「確かにそうだね。……この花は君が育てているの?」
「そうだが」
 答えながら読みかけの本を閉じ、騎士は椅子から立ち上がる。そしてそのまま靴の踵を鳴らしてアズリへと近付いてくる。アズリは思わず少しだけ後ずさった。
「あの、何……?」
「お前の目の色はとても目立つ。容姿を知らない私が一目見て分かるほどに。アズリスタル=リーバス」
 びくり、とアズリは自分の肩が跳ねたことに気付く。同時に左目の奥で何かが脈打つのを感じた。ヤイバシラの欠片が入って以降、元のアメジスト色からピンクへと色を変えた左目が。
「アズリスタル。この塞舎の中でお前を知らない者はいないと考えていい。そして一度暗殺者に狙われて一度逃げおおせたなら、二度目は必ずより狡猾で逃れようのない手段で狙われるということも頭に入れておくといい」
「……えっ」
 何故、とアズリは疑問を言葉にできないままじっと相手を見る。左目の疼きはもう収まっていて、右目と変わらず相手の姿を捉えている。だから鏡を見ない限りアズリは自分の目に起きた変化を忘れてしまう。
「仕事中なのだろう。一息つけたならもう戻るといい」
 そう言って容姿端麗な騎士は本棟へと繋がる扉を開けてくれる。ちょっと待って、とアズリはやっとそれだけを口に出した。
「名前っ……あの、聞きたいことは色々あるんだけど」
「そうだろうな」
 自然な動作で頷いて、騎士はふうと小さく息を吐いた。そしてそのままの流れで質問に対する答えを告げる。
「セイン。私の名はセイン。そのうちまた会うこともあるだろう。そのときにゆっくり話せたらいいと思う」
「あ、うん、え?」
 セイン、と名乗った騎士は軽い動きでアズリの身体を扉の向こうへ押しやった。戸惑うアズリの目の前で扉は閉ざされ、向こうからがちゃんと鍵を掛ける音が聞こえる。うわあ、とアズリは小さく呻いた。
「よく分からないまま追い出された……」
 本棟へ戻れたのはいいが、ここからどう行けば環境課事務室へ辿り着けるのか。せめてそれだけでも聞いておけばよかったと悔やんだアズリだったがもう一度扉を開けてセインに会うのはためらわれる。気まずいという理由もあるが、それより勝るのは背筋をそっと通り抜けていく恐怖だった。そう、セインはどうしてアズリが昨夜暗殺者に狙われたことを知っていたのだろう。塞舎の中でアズリを知らない者はいないとセインは言った。まさか塞舎の誰もがアズリが狙われたと知っているとでもいうのだろうか。
「……物騒な想像してたらきりがないなあ」
 ふう、と息を吐いてアズリは手近な壁にもたれた。そうして少しだけ気を鎮めてから辺りを見ると、ふとその様子に見覚えがあることに気付く。
「あれ? もしかしてこの辺って」
「アズリ先生?」
 聞き慣れた声にえっと振り返るとそこには少しだけ驚いたように目を見開いたシェリロが立っていた。やはりそうか、とアズリは納得して周りを見る。覚えがあるはずだ。何しろそこはアズリが毎日のように通っている剣塾の道場に程近い廊下だったのだから。
「やあ、シェリロ」
 ここからなら事務室に帰ることができる。そう考えて安心したアズリは目の前に立つ少女に笑顔を向けた。対して少女はふわふわとした白い髪を、紅く染めた毛先を揺らしながらとんと軽く床を蹴るようにしてアズリの目の前に迫り。
「ちょうどよかった」
 そう言ってアズリの手をぐいと掴んだ。

2018/08/13

←前へ/目次/次へ→